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江南省信陽市 西方地方の茶園
信陽市の役人さんの案内で、当地の茶園の視察をした。中国はどこへ行っても貧弱な園相の茶園ばかりであったが、当地の茶園はまずまずの園相が多かった。清々しい風景につられて湖岸に歩み寄ると、対岸彼方に茶園が続いていた。すると、どこからでもなく「人声」が聞こえてきた。直ぐ近くに聞こえた。ジーッと辺りを見渡すが・・・やっと見付けた。遥か彼方の湖上を数人の人を乗せた筏が進んでいた。スケッチには描けない点の様な大きさであるが、大きく描いた。4百~5百㍍先の人声がハッキリと聞き取れる異常な静寂さに驚かされた。日本ではとても考えられないことである。 |
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淅江省杭州市 西湖湖畔
中国の茶の中心地である杭州市は西湖と言う風光明媚な自然を保有している。マルコポーロは著書の中で、キンサイと言う名で杭州を紹介している。世界中で最も美しく、商業の発達した町である旨書かれている。移動間際の寸暇にスケッチして色は帰国して塗った。橋の右手のイタリア・レストランで洋食の昼食を食べて、ベンチの空くのを待って描いた。
人影を入れたい。 |
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四川省成都
三国志の劉備玄徳の菩提寺の前のチベット、レストランからのスケッチ。
成都はきれいな町で、私にとっては、杭州と同様に好きな街である。 |
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四川省峨眉山
幹線から1時間余も山中に向かうと、山のてっぺんまで耕された茶園の風景に出会った。
見上げる稜線は霞んでいた。
新緑の春に来れば、さぞかしすばらしい景観になるであろうと思った。 |
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湘豊茶業㈲公司 庭園
当工場主の湯しには、様々な贈り物があるようで、当さるすべり、が工場周辺に数十本植えられている。友人からの贈り物だと聞いた。
その、さるすべり、が9月になると見事に咲いた。可憐なピンク色をしているのだが、私の技術ではとても、その色を出せないのでご勘弁。
背は低いものの、樹齢100年は経っているであろう。下部の幹は太く、立派である。
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湘豊茶業㈲公司の入り口付近の
春の風景
中国の春は菜の花が咲き乱れ、国土を黄色に染め上げる。 |
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湘豊茶業㈲公司の裏山をジョギングで進むと開墾された見事な茶園に出くわす。
まだ、朝の6時だと言うのに、自転車を押して辿りついたご婦人たちが、急いで茶摘を始めた。
手積みで「芽」だけの摘み取りは1日摘んでも数キロであろう。
中国の茶の生産量は82万トンです。
淅江省、福建省が双へきで、安徽、雲南、湖北、湖南、河南、、、と中国南部から東部の沿海に面した地方が産地です。
詳細な数値は、一般的なWebや茶業研究書で調べてください。
地元の省毎に研究所があり、これ等の発する数値と一般に流布している数値が大きく違っていることがたくさんあります。
どちらが正しいかを詮索する気持ちは私にはありません。
どちらも違っているのが実状ではないかと思います。
正しい数値は、省も国も掴めていないと思います。
日本のように、農協の組織がないので無理でしょう。
製品である荒茶の販売も、市場に流れる物が少なく、多岐にわたるルートで売買されています。
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左スケッチ・福建省北部松渓市地方の茶園と国営釜炒り工場
福建省北部の武夷山市から車で2時間程で建?市まで南下し再び東北方向へ2時間程行くと、茶園が延々と続きだした。松渓市に入る。
貧しい農村地帯である。
山間の細い道を辿る。日本の田舎に似た狭い田んぼは既に秋の刈り入れが終わっていた。
すると、予想だにしなかった狭い谷に当スケッチの工場が現われた。
元国営製茶工場であったと言うが、余りにも貧弱な設備にもの悲しさを感じた。工場内から見上げる屋根は穴だらけで、明るい空がすけていた。
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薄暗い工場内の機械は、昭和の初期の代物と云った骨董品である。
現役のこの工場の年間生産量はたったの300kgであった。トンの間違いかと質したが、kgが正解であろう。
背後の茶園に案内されて見下ろした風景画が左記のスケッチ画です。
夕闇迫る中国の田舎風景です。
うれしかったのが、この近くに、近年日本向けの緑茶工場が出来て、日本の大橋さんが来てくれて、
各種の指導をしてくれているとのことである。
大橋さんとは旧知の仲である。
彼が来てから、雑草に埋もれていた茶園が復活しだした。
茶葉の価格も上昇し、農家に活気が出てきたと工場責任者が云っていた。 |